
先日、あるオフ日に、新浜小学校時代の教え子に会いました。
加納尚樹君...トランペットを担当し、5年生で『輝きの海へ』、6年生で『はてしなき大空への讃歌』を演奏した代の子どもです。
天性とも思える楽器との相性だったのか、私が教える以上に自分自身でトランペットの技術を習得していきました。
6年生になると、ハイトーンをいくら吹いてもバテない良い奏法で、ポップスでもバロックでも楽しげに吹いていました。
中学校でも高校でもトランペットを続け、高校では普門館での全国大会で1stトランペットを朗々と奏で、私を泣かせてくれました。
東京藝大を目指して一浪だけしましたが、夢叶わず、東京音楽大学へ。
師のアンドレ・アンリ先生からフランス留学を勧められ、一大決心をして東京音大を中退し、パリにあるリュイエ・マルメゾン音楽院に入学、あこがれであったエリック・オビエ先生に師事しました。
マメルゾン音楽院を卒業後、最大の夢であったパリ国立高等音楽院に合格しました。
ドビュッシーやラベル、トランペットのモーリス・アンドレも卒業した世界有数の音楽学校です。
世界からの受験者130人の中でたった1人の合格者が加納尚樹君でした。
パリ国立高等音楽院一年次在籍中の演奏です。
リヨンの教会でのオルガンとの共演です。
お聴きください。
↓
加納尚樹 リヨンでの演奏
本人曰く、「ナーバスになっていた時期で、音色も音楽性も納得がいかない演奏が悔しかった。それなりに評価していただいてはいたが、自分として楽しめていない演奏なのです。」と。
パリ音では、精神的にもきつい時期もあったようですが、無事に卒業し、今、様々な進路を模索しています。
今年は、主なる仕事をフィンランドのトゥルク・フィルハーモニー管弦楽団の主席トランペット奏者の年間契約奏者としての演奏に置き、正団員の席を目指しています。
月2回ほどの本番と、それに向けての2~3回のリハーサルで、生活には十分な給与をいただいているそうです。
7、8月は、オケ自体が完全休暇に入り、演奏は無くなるのですが、給与は支給されると...。
日本ではあり得ない待遇なのだそうです。
フィンランドの自然や人、生活も気にいっているようです。
日本に帰って来た時には、2つの音楽大学で、休講の教授のピンチヒッターとしてレッスンをしたり、スクールバンドでトランペットのレッスンをしたりと、後進の指導にもあたっています。
トランペットの練習だけでなく、ヨーロッパの他国を訪れ、様々な文化や音楽に触れ、音楽観を深めることに喜びを感じているようです。
まさに、若々しく自由奔放な音楽家人生を歩んでいます。
小学校の時、最初にトランペットではなくコルネットで入門時期を過ごしたこと(これは私のポリシーです)、ロングトーンよりもスケールやリップスラーで基礎を身につけたこと(これも私の金管初心者メソッドです)が、とても良かったと話してくれました。
また、技術以上に音楽性やイメージを先取りして、そのために技術が必要なのだという指導を受けたことも、自分の今につながっていると、話してくれました。
今、まだ27歳の若い彼です。
これから、厳しい試練や挫折も待ち受けていると思います。
ひとつひとつの壁が意味のあるものであることを理解して、乗り越えていってほしいと思います。
「小学校時代に田川先生と出会っていなかったら、絶対に今の僕はありません。本当に感謝しています」と、話してくれた笑顔は、子どもの頃のあのままでした。
感謝するのは、私の方です。
これからもずっと応援していきたいと思います。


小学校6年生の加納尚樹君です。
「はてしなき大空への讃歌」を演奏しています。
加納尚樹君...トランペットを担当し、5年生で『輝きの海へ』、6年生で『はてしなき大空への讃歌』を演奏した代の子どもです。
天性とも思える楽器との相性だったのか、私が教える以上に自分自身でトランペットの技術を習得していきました。
6年生になると、ハイトーンをいくら吹いてもバテない良い奏法で、ポップスでもバロックでも楽しげに吹いていました。
中学校でも高校でもトランペットを続け、高校では普門館での全国大会で1stトランペットを朗々と奏で、私を泣かせてくれました。
東京藝大を目指して一浪だけしましたが、夢叶わず、東京音楽大学へ。
師のアンドレ・アンリ先生からフランス留学を勧められ、一大決心をして東京音大を中退し、パリにあるリュイエ・マルメゾン音楽院に入学、あこがれであったエリック・オビエ先生に師事しました。
マメルゾン音楽院を卒業後、最大の夢であったパリ国立高等音楽院に合格しました。
ドビュッシーやラベル、トランペットのモーリス・アンドレも卒業した世界有数の音楽学校です。
世界からの受験者130人の中でたった1人の合格者が加納尚樹君でした。
パリ国立高等音楽院一年次在籍中の演奏です。
リヨンの教会でのオルガンとの共演です。
お聴きください。
↓
加納尚樹 リヨンでの演奏
本人曰く、「ナーバスになっていた時期で、音色も音楽性も納得がいかない演奏が悔しかった。それなりに評価していただいてはいたが、自分として楽しめていない演奏なのです。」と。
パリ音では、精神的にもきつい時期もあったようですが、無事に卒業し、今、様々な進路を模索しています。
今年は、主なる仕事をフィンランドのトゥルク・フィルハーモニー管弦楽団の主席トランペット奏者の年間契約奏者としての演奏に置き、正団員の席を目指しています。
月2回ほどの本番と、それに向けての2~3回のリハーサルで、生活には十分な給与をいただいているそうです。
7、8月は、オケ自体が完全休暇に入り、演奏は無くなるのですが、給与は支給されると...。
日本ではあり得ない待遇なのだそうです。
フィンランドの自然や人、生活も気にいっているようです。
日本に帰って来た時には、2つの音楽大学で、休講の教授のピンチヒッターとしてレッスンをしたり、スクールバンドでトランペットのレッスンをしたりと、後進の指導にもあたっています。
トランペットの練習だけでなく、ヨーロッパの他国を訪れ、様々な文化や音楽に触れ、音楽観を深めることに喜びを感じているようです。
まさに、若々しく自由奔放な音楽家人生を歩んでいます。
小学校の時、最初にトランペットではなくコルネットで入門時期を過ごしたこと(これは私のポリシーです)、ロングトーンよりもスケールやリップスラーで基礎を身につけたこと(これも私の金管初心者メソッドです)が、とても良かったと話してくれました。
また、技術以上に音楽性やイメージを先取りして、そのために技術が必要なのだという指導を受けたことも、自分の今につながっていると、話してくれました。
今、まだ27歳の若い彼です。
これから、厳しい試練や挫折も待ち受けていると思います。
ひとつひとつの壁が意味のあるものであることを理解して、乗り越えていってほしいと思います。
「小学校時代に田川先生と出会っていなかったら、絶対に今の僕はありません。本当に感謝しています」と、話してくれた笑顔は、子どもの頃のあのままでした。
感謝するのは、私の方です。
これからもずっと応援していきたいと思います。


小学校6年生の加納尚樹君です。
「はてしなき大空への讃歌」を演奏しています。
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