田川伸一郎のブログ

13回忌

5月13日、今日は大切な教え子の命日です。
そして、今年の「今日」は、彼の13回忌です。
今日は、私も法要にお招きいただき、伺ってきました。

矢口昇吾君

大柏小学校吹奏楽部でファゴットを吹き、姉も大好きだったあの「エル・カミーノ・レアル」を演奏して卒業していった教え子です。

彼は、音楽だけではなく身の回りの様々なこと、特に自然界のことには興味津々で知識も豊富な少年でした。バスで地方遠征をした時など、他の子どもたちが楽しく談笑している中、彼はひとりで私や校長先生のそばにいつの間にか席を移し、「先生、あの木はね..。あの花はね...」と詳しく解説してくれることもありました。私も校長先生も、「ほう...そうですか。なるほどねぇ。」と感心して彼の話に聞き入るばかりでした。

4年生の時、彼と出会った私は、彼の自由奔放さと良い意味の遠慮なさに「天真爛漫なあどけない子どもらしさ」を感じ、一方で、鋭い観察力やこだわりのある追求心に「本質を求める大人のような眼」を見出しました。音楽が大好きで、自然な形で吹奏楽部に入って来た彼に、私は迷うことなくファゴットを与えました。「僕、何でもやるよ。ファゴットかぁ。何だか複雑そうな楽器だね。僕はこれをやればいいの?」と、音楽や楽器に対しては心の間口が広く、私が与えたファゴットにも何の抵抗もなく、すぐに興味をもって向かい始めました。彼は、指づかいが難しいファゴットと友達のようにつき合い、練習後の手入れもファゴットと語り合うように楽しそうでした。月日と共に、彼の音楽は、まるで歌うように自由自在な流れをかもし出し始めました。そして、演奏する彼の体は、何を教えることもなく「音楽家」のように動き始めました。


中学1年の3学期、大柏小学校吹奏楽部の定期演奏会に向けて小学生とOBとの合同演奏の練習をしている頃、彼に難しい病気が見つかりました。本人はもちろん、家族にとっても辛く苦しい病気との闘いが始まりました。

ご両親は、良いといわれる治療法のチャンスをすべて彼に施され、「治す」ということに執念を注がれました。彼が最後に入院した病院は、東京の築地近くにありました。私は、特別の用事がない限り、勤務後お見舞いに行くことにしました。
波のある彼の気持ちをまるごと受け止め、お父さんお母さんの心の苦しみをまるごと受け止め、時には何物にもぶつけられない怒りすら受け止めました。
私にできることは、それしかありませんでした。
ある夜、比較的体調が良く、食欲もあった彼は、「みたらしだんごが食べたいよ。」と言い始めました。
「じゃあ、明日買って来てあげるね。」と返すお母さんに、
「僕は、今日食べたいんだよ。」と駄々をこねました。
「わがまま言うんじゃないの。無いものは無いんだから!」
「食べたいんだもん。」

「矢口君、待ってろ。先生が買って来てやるから。」
「ありがとう!!」
「ありがとうじゃないでしょ。先生、いいんですよ。昇吾、先生にまで迷惑をかけて。いいかげんに...」
お母さんの言葉も聞き終わらないうちに、私は病院を飛び出していました。

にぎわう夜の銀座の街をひたすら走りました。何軒か宛にした和菓子屋を尋ねて回りました。普段ならどこにでも売っていそうな「みたらし団子」が、こんな日に限って見つかりません。
「早くしないと面会時間が過ぎてしまう。明日じゃダメなんだ。今日、彼の願いを叶えてやりたいんだ。」
時計を見ながら、私は本気で走り回りました。
時間ぎりぎりと思われた時、あるデパートの地下でたまたま「屋台」のように「みたらし団子」を売っているコーナーを見つけました。
汗だくになり、息せく私を、店員さんは不思議そうに見つめていました。「みたらし団子」を手にした私は、また銀座の街を病院へと走りました。
「買って来たぞ。みたらし団子...。さあ、食べなさい。」
「美味しいよ、美味しいよ。ありがとう、先生。ありがとう。」
本当に美味しそうにみたらし団子をほおばる昇吾君は、出会ったあの日のようにあどけない眼をしていました。

彼に申し訳なく、また彼に教えられたことがあります。
ある日、少々調子の悪かった彼と別れる時、「じゃあ、また来るから...。がんばれよ。」と何気なく言った私に、彼は、「がんばってるよ!がんばってるんだから、がんばれって言わないでよ!」と泣きそうな眼で訴えました。
私は、軽はずみでした。そう、そのとおりでした。彼に教えられた重いひとことでした。
姉が病気になってから、私は姉に一度も「がんばれ」とは言いませんでした。

「もっと頑張れそうな人」や「楽しく頑張っている人」と、「ぎりぎり頑張っている人」...
「がんばれ」と言っていいのか、いけないのか...私は相手のことを心で見て、一度考えてから言うようになりました。
時には「がんばれ」の代わりに「がんばってるのはわかってるから、それで十分だよ。」と言えるようにもなりました。


彼が中学3年生になった5月13日。2年3ヶ月闘った彼の執念は力尽き、ご家族が見守る中、天国へと旅立ちました。
久しぶりに自宅へ帰って来た彼は、「元気になって着たい」と言っていた中学校の制服を着せてもらっていました。

あれから12年。ご家族の悲しみは癒えるはずもありません。
今日、お父様は、「皆様のおかげで、大きな節目を迎えることができました。」と私たちにお話しくださいました。この「節目」までの道のりがどんなに辛く苦しいものであったか。しかし、お父様のお言葉からは、ご自身の気持ちにもどこかで「節目」をつけて立ち直っていきたいという強い決意も伝わって来ました。

矢口昇吾君...
彼が残してくれた言葉、彼が残してくれた音楽、彼が残してくれた笑顔...心の中に消えることなく生きています。そして、これからもずっと。
今、元気にそれぞれの人生を歩む教え子たちの「活躍」と同じように、私の心の中で矢口君は「活躍」してくれています。

これからも、毎年5月13日には、矢口君の仏前で手を合わせながら、「本質を求める大人のような眼」で見つめる彼に対しても恥ずかしくない生き方をしているかどうか、自分に問いかけたいと思います。

ありがとう、矢口君。
君と出会えて、本当によかった。

大柏
矢口昇吾君と「思い出の時」を重ねた市川市立大柏小学校


明日から3日間、浜松でおこなわれる「日本吹奏楽指導者クリニック」に参加して来ます。ブログの更新はお休みさせていただきますので、ご了承ください。来週、このクリニックのレポートをアップします。

浜松で、先生方との良い出会いがありますように...


本記事の教え子の名前は、ご両親のご了承を得て実名を書かせていただきました。
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