田川伸一郎のブログ

ゲルギエフ&ミュンヘンフィル

昨夜は、サントリーホールで開催されたワレリー・ゲルギエフ指揮、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に行ってきました。

ミュンヘンフィルは、2014年までロリン・マゼール氏が主席指揮者として率いていましたが、氏が引退、亡くなった後、今年の9月からロシアの巨匠・ゲルギエフが主席指揮者としてこのドイツの名門オケに新しい風を吹き込んでいます。

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ワレリー・ゲルギエフ氏

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ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団


そして、今回の豪華共演者は、ピアノの辻井伸行さんです。
ゲルギエフ氏とは、何度も共演してきています。

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辻井伸行さん


プログラムは...
ゲルギエフ&辻井伸行の共演が多いベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』、そして、ゲルギエフの十八番であるロシア音楽の代表作・チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』でした。

この曲目を見ただけでも、私はうぅぅぅという感じで、即、チケットを申し込んだのでした。

ゲルギエフ&ミュンヘンフィルの日本公演は、もちろん初めてです。
マゼールから受け継いだこのオケを、あのゲルギエフ氏がどんな味に仕上げて来日するのか、楽しみでなりませんでした。

辻井さんのピアノは、いつもの透明な音、そして、どのフレーズにもどの音にも命を感じさせる演奏でした。
特に弱音での語りには、涙が出ました。
ゲルギエフの指揮、オケとの対話も見事。
オケだけが流れる時の辻井さんは、常に身体を左右に揺らしながら、音楽のエネルギーを吸収しているようでした。

アンコールで演奏したベートーヴェンのピアノソナタ『悲愴』第2楽章、ショパンの『革命のエチュード』、同じくノクターン第20番『遺作』...彼の様々な人間性がにじみ出る演奏をゲルギエフもオケのメンバーも、皆が聴衆となって彼を見つめ、聴き入っていた時間でした。

3月に、彼のオールショパンプログラムの演奏会があり、申し込んでいたのですが、抽選ではずれてしまい...泣。
でも、今回、この贅沢なコラボで聴けただけでもよかった。

プログラムの辻井さんのページにこう書いてありました。
「ぼくにはひとつの夢があるんです。それは2020年の東京オリンピック&パラリンピックの開会式か閉会式でピアノを弾きたいという夢です。特にパラリンピックに参加する選手のみなさんを自分のピアノで応援したいんです。」
・・・ぜひ夢が実現しますように。 


そして、チャイコフスキーの『悲愴』、第一楽章の低音の旋律が始まった時点で、きたっ、と。
サントリーホールがその世界に飲まれていきます。
ゲルギエフの魂と決断力ある棒が、彫の深いサウンドと歌に導いていきます。

私は、個人的に木管セクションの音色と個性同士のコンビネーションが、とっても好きでした。
ソリスティックに各々の音や歌を聴かせたかと思えば、絶妙なバランスでセクションのサウンドとハーモニーを紡ぎます。
フルートやオーボエの主席奏者の演奏には目と心を奪われました。

トゥッティでは、各声部が鮮明に分離して聴こえ、それらが対話したり、競ったり、融合したり、まるでステージの上に巨大な生き物たちがうごめいているようにも感じられました。

ハーモニーの進行に物を言わせる技も心にぐっと来ました。

『悲愴』という言葉のイメージとは違うチャイコフスキーのもっともっと激しい感情。
チャイコフスキー自身の指揮による初演のわずか9日後に、彼が亡くなったという事実。
・・・この曲の持つドラマと感情が痛いほどのメッセージとなって伝わってきました。


しかし、言葉で書いていると、んんん、こんな言葉じゃ違う、こんな表現じゃ足りない...と、もどかしくなります。
私の文章力が無いのは間違いないのですが、言葉ではどうにも表現できないほどの「時」であったことも間違いありません。

その場にいた者だけが体験できる。
それが音楽の魅力なのです。

今夜の公演をもって、今回の大阪~名古屋~仙台~東京(3公演)の日本ツアーは終了とのこと。

ゲルギエフとミュンヘンフィルの今後益々のつながり深い音楽を期待したいと思います。

すてきな時間をありがとうございました。


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| | 2015-12-02(Wed)19:17 [編集]