田川伸一郎のブログ

懐かしのプチ旅

11月のある「完全オフ」の日、ふと思い立って、「懐かしのプチ旅」に出ました。

と言ってもたいしたことではありません。
自分が過ごした小学校~高校時代の街を歩いてみたのです。

今は、仕事以外で東京に行くことはめったにありません。
まして、目的もなく、散歩に行くなんて...
でも、それだけでもわくわくしました。

まずは、小学校時代(小学校1年生の途中からです)を過ごした世田谷区三軒茶屋へ。

今は半蔵門線がそのまま東急線につながり、あっという間に三軒茶屋駅へ行けます。

三軒茶屋の道は昔と変わっていませんでしたが、立ち並ぶ建物の様変わりにびっくり。
当たり前のことではありますが、「懐かしい~」と思える物がなかなか無く、ちょっと寂しい気持ちでした。

私が住んでいた社宅はとっくに無くなり、今はマンションに変わっていたのは知っていました。
でも、近くの公園や小学校はそのまま残っていました。

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「丸山公園」といいます。よく友達と遊びに来て、この「さる山」と呼んでいた遊具で遊んでいました。


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小学校1年生の途中から卒業まで過ごした世田谷区立三軒茶屋小学校です。(それまでは兵庫県に住んでいました。)
私たちが6年生の時に、木造校舎からこの鉄筋校舎に移りました。



仲良しだった友達の家を数軒たずねましたが、一人以外は、皆、建物も変わり、もちろん他の方のお名前になっていました。
あんなこと、こんなことと、思い出をたぐり寄せながら歩きました。

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社宅前のすぐ前にあった「カトリック三軒茶屋教会」です。
小学校5年生からこの教会の「土曜学校」や日曜日のミサに通うようになりました。
きっかけは覚えていませんが、姉に勧められた記憶はあります。
この教会との出会いがあって、成人してからもカトリック教会に通い、洗礼を受けました。



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「駒留八幡神社」です。秋のお祭りが楽しみでした。
「ヘビ食い少女」みたいな気持ち悪い見世物小屋も出て、入るかどうするか友達とキャーキャー言いながら騒いでいました。



特技も何もなく、自分に自信のない弱虫っ子の田川でした。
授業や学級会で発表することもほとんどなく、家庭訪問ではだいたいそういう話をされ、親には活発で勉強家だった姉とよく比較されていました。
特に、5年生の時の担任の先生が怖くて、日曜日の夜は、「また1週間が始まる」と憂鬱でした。
でも、当時は、「不登校」とか「登校拒否」とか「先生が怖いから行きたくない」とか、そういう発想が世の中にはありませんでした。
学校は行くのが当たり前。 友達にいじめられようが、先生が嫌だろうが、「行きたくない」なんてことは思ってはいけない世の中でした。

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5年生の頃の私です。(左から2番目です)


そして、入学した中学校は、世田谷区立駒沢中学校でした。

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校舎は一部を除き、建て替えられていましたが、校庭の隅に「タンチ山」という小高い森のような場所があり、昼休みはよくそこで過ごしました。私のお気に入りの場所でした。
中には入れませんでしたが、あの木々の中が「タンチ山」だなと懐かしく...
駒沢中学校には、1年生の2学期末まで通いました。
部活は、なんと「テニス部」でした。 ほとんど球拾いで終わってしまいましたが。
吹奏楽部はありましたが、とっても下手で、運動会でパレード演奏した時に、皆でバカにして笑っていました。(なんてひどいことをしていたのかと反省です...でも、ほんとに何を演奏しているのかわからないほど見事な下手さだったんです。ごめんなさい...)



中学校1年生の3学期に、目黒駅近くに転居して、品川区立日野中学校に転校しました。
今は、別の場所で小中一貫校の「品川区立日野学園」に変わっていることは知っていましたが、校舎は残っているかもと行ってみたら...

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えらく近代的な校舎に改築され、近くにあった「第一日野小学校」が移転していました。

品川区立日野中学校でテニス部に入ろうと思ったら、校庭も狭く、練習場所もろくにない潰れそうなヤバい部でした。
1年の3学期は、どこにも入らず帰宅部のまま過ごしていました。

この学校の吹奏楽部は、すごい人数で半数は男子。
とても大きい音で、カッコよく演奏していることに驚いていました。
でも、入部しよう...なんてことは思いませんでした。

2年生になって、クラス替え。 たまたま仲良くなった前と後ろの席の男子の友達が吹奏楽部で、毎日のように誘われ、なぜか入部することに...
この学校の吹奏楽部のすごさに驚いていた私は、不安いっぱいでしたが、同時にちょっぴりうれしくて毎日練習に参加するようになりました。
担当の楽器はパーカッション。カッコ良くスネアを打つ男子の木下先輩と冷静で優しい女子の笹川先輩にあこがれて、「先輩、先輩!」といつも先輩方に甘えて、教えてもらっていました。

そして、何と入部したばかりの初心者にもかかわらず、2年生だからということだけで、コンクールメンバーにも混ぜていただき、東京都の本選にも出場させていただきました。

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打楽器の左端が私です。 音楽人生の初舞台です。
この時大変お世話になったのが、元東京都吹奏楽連盟理事長の澤田光夫先生です。
日野中学校に転校していなければ、日野中学校に澤田先生という偉大な先生がいらっしゃらなければ、当然、「吹奏楽」や「音楽」や「教育」とは無縁の人生を送っていたはずです。
当時、全国制覇していた豊島区立第十中学校(酒井正幸先生)と合同練習して、日比谷公園のステージで演奏させていただいたこともありました。同じ中学生なのに、あまりのレベルの違いに、みんなでへこんで帰りましたが、「豊島十中と演奏出来たなんて幸せなんだぞ」と澤田先生に言われ、「そうか、幸せなんだ」と喜んだ単純な私たちでした。
この日野中学校での生活は、全てが「出会いの奇跡」でした。 感謝してもし切れません。



私は、どんどん音楽にのめり込んでいき、音楽無しでは考えられない日々を過ごしました。
3年生の冬には、東京都では初めて「リコーダーアンサンブルコンテスト」という行事がおこなわれ、部活を引退した後の時期でしたが、私は部活仲間と参加することにしました。

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ヘンデルの『水上の音楽』の序曲を、私が中心になって編曲し、夜まで練習しました。
澤田先生に指導していただいた記憶は無く、それでも良い賞をいただき、澤田先生は、仲良しの国語の先生に、「彼らが自分たちで選曲や編曲をして練習し、あんなに上手に演奏してくれたのがうれしい」と飲みながら大層喜んで話してくださったと聞き、あまり褒めてくださらなかった澤田先生がそんなに喜んでくださったんだとうれしく思ったことだけは覚えています。



高校は、日野中の先輩も何人か進み、その地区では吹奏楽が盛んだった都立小山台高校に行きたいと思い、それなりに頑張って勉強しました。
当時、都立高校は、「群制度」で、小山台高校と田園調布高校の2校が「14群」という受験群になっていて、「14群合格者」をランダムに2校に振り分ける制度になっていました。
ここでも、神様は、奇跡を起こして、私を小山台高校に入学させてくれました。

小山台高校は、吹奏楽は盛んでしたが、3年生は部活は自由参加で、来たい時に来ればいいという部活でした。
たまに来ては、ろくに練習もせず威張ってばかりいる3年生を「嫌だな」と思ったこともありましたし、また、そういうシステムだったのでコンクールにも出場していませんでした。

私が3年生になった時、同期の仲間を説得し、「受験勉強と両立させて最後まできちんと部活をやろう。それが無理ならきっぱり引退しよう。そして、うちの部もコンクールに出よう」と、何度もミーティングをしました。
2名だけはどうしても無理と引退しましたが、他の3年生仲間はみんな部活に残り、1.2年生と変わらない練習をしました。
そして、コンクールに初出場。
何と予選で「ゴールド金賞」を受賞し、都大会まで進んでしまったのです。
ティンパニーもなく、本番直前に日野中学校からお借りし、お神輿のごとく、皆でかついで運んだのも良い思い出です。

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都立小山台高校のコンクール初挑戦のステージです。(普門館です)
トランペットパートには、今、プロの司会者として活躍している朝岡聡君もいました。


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新校舎になった今の都立小山台高校です。 今では、都大会常連のバンドとして大活躍しています。
最近、アンサンブル曲や吹奏楽曲の作曲でご活躍の松下倫士(ともひと)さんも卒業生です。
後輩たちの活躍を誇りに思います。



小山台高校があるのは、東急武蔵小山駅の駅前です。

「武蔵小山アーケード街」は、日本で初めて出来たアーケード街だそうです。

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このアーケード街にほど近いところにある「自慢亭」
ここの「焼きそば」は説明できない程の美味しさなのです。

高校時代から通い始め、大学生になり、大人になって、さらに千葉に住むようになってからも、時々、ここの焼きそばを食べに行っていました。
店長のおじさんは、ずっと同じですから、いったいお幾つになられたのでしょうか...

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我孫子に住むようになってからは、さすがにほとんど行くことはありませんでしたが、久しぶりに訪れたうれしさに、つい「お久しぶりです」と口に出てしまいました。
「小山台の卒業生ですよねぇ」と、店長のおじさんが返してくださいました。
高校時代から、「美味しい美味しい」と、ここの焼きそばを食べ続けていた私のことを覚えていてくださったのです。
感激!
そして、40年変わらないこの味に感動!
「また絶対来ますから!今は千葉の我孫子に住んでいるんですけど、わざわざでも食べに来ます!」
「遠い所からありがとう! 待ってますよ! 俺も元気で頑張るから!」


小学校時代からの様々な場所や出来事をたどりながら、今につながる「出会いの奇跡」に感謝しながら過ごしたすてきな秋の一日でした。

            
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