田川伸一郎のブログ

阪神淡路大震災22年目の祈り

昨夜は休むのが遅くなってしまったのに、今朝はなぜか5時過ぎに目が覚めてしまいました。

22年前の朝も、同じでした。
5時46分、大きな揺れにびっくりして目が覚めました。

「明日は1月17日、阪神淡路大震災の日」...と思いながら休んだせいか、あの朝の怖さがよみがえったのかもしれません。
テレビで見た阪神地区の惨状は今でも忘れません。

そして、その直前の11月に、大柏小学校の子どもたちと、尼崎市で開催された「全日本小学校バンドフェスティバル」に出場し、神戸に宿泊したことも、寸分の違いであの子たちと共に被災していたかもしれない。引率していた子どもたちの命が奪われたかもしれない。もちろん、私も...と衝撃的に記憶された日でした。

それ以来、「引率中に何かあったら...」という考え方が強く強く深まり、「安全に帰って来られること」を、それまで以上に真剣に、神経質に考えるようになりました。

6434人が犠牲となった大震災でしたが、22年経ち、神戸市の人口の半分以上が震災を経験していない人です。
また、被災者の高齢化は進み、兵庫県内の災害復興公営住宅に住む65歳以上のお年寄りの割合(高齢化率)は2016年11月現在で52.2%と過去最高を更新し、孤立を防ぐ対策が急務になっています。
見た目は、震災の傷跡など、全く残っていない阪神地区ですが、家族や友人を失った方々、孤独と闘いながら復興住宅などで高齢生活を続ける方々の「心の傷跡」...見えない「傷跡」は残ったままです。

今朝は、慰霊式が様々な形でおこなわれていましたが、震災を経験した方々、当時を知っている私たちが「伝え続けること」が大切です。

自然災害に限らず、戦争も、多くの方々が巻き添えになった事故や事件も...終わりはありません。

改めて、阪神淡路大震災で亡くなられた方々、残されたご家族の方々に、心からの祈りを捧げます。


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石積みで「生」の文字をかたどったオブジェの前で黙とうする人たち。
(昨夜、兵庫県宝塚市で)


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                 神戸・三宮の東遊園地には竹灯籠にともされた火で
                 「1995 光 1・17」の文字が描かれました。
                 (17日午前5時46分)



神戸での「1・17のつどい」での、遺族代表・大鳥居慎司さん(58)の言葉です。

・・・・・
阪神・淡路大震災から22年。これだけたつと歴史の世界になってしまいますが、私には歴史で済ますことはできません。

早朝、激しい揺れで目を覚まし、家がつぶれました。妻に「火が出なければ助けが来る」と声を掛けると、「そんな」と言ったきり、うめき声も次第に聞こえなくなっていきました。私と長男、長女が助け出され、4時間後に妻が掘り出されたときには脈がありませんでした。

運んだ病院で医師から「だめです」の一言。最後の望みも断たれました。妻に「2人の子どものところに行くからね」と声を掛けて病院を後にしました。避難先の魚崎小学校で、長男から「ママは天国からいつ帰ってくるの」と聞かれ、答えられずに泣きだしました。
「妻は永遠に帰ってこないんだ。でも自分には2人の子どもがいる」と考え、このときから子どもを育てようという目標が明確になりました。

小学校でPTAなどの役員をし、ほかの母親と話すと、子育ての悩みを夫は聞いてくれないなど苦労は男も女も同じと分かりました。誰かに助けてもらおうと、気負いを捨てると気が楽になりました。子育てという目標があったからこそ、悲しみを乗り越えられた気がします。

10年ほど前から妻が生きている夢を見なくなりました。ようやく現実を受け入れたということでしょうか。でも寂しいです。夢の中でも妻に話を聞いてもらいたい。仕事も子育てもこれからのときに突然命を奪われた妻の話も聞いてあげたい。今はスーパーで総菜を買ってくるような生活です。写真の妻はただほほ笑んでいるだけですが、きっと怒っているかあきれているでしょう。会えなくても妻は天国から私たちを見守って、時には怒ってくれる家族の一員です。


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| | 2017-01-17(Tue)20:32 [編集]