田川伸一郎のブログ

大切な日の記憶

今日、2月22日は、亡くなった姉の命日です。

前年の5月、かなり進行した「スキルス胃がん」が見つかってから、胃の全摘出出術を受け、抗がん剤治療も受けましたが、闘病むなしく約9ヶ月後の2月22日の早朝、59歳という若さで亡くなりました。

真間小学校3年目、「あと1年で早期退職する」と決意し、最後の1年をスタートしたばかりの5月に姉の口から伝えられた信じたくない事実でした。

私は、当時、市川市に住んでおり、退勤後は極力、柏のガンセンターに入院している姉の見舞いに行き、その後、我孫子でそれまで姉に見守られながら暮らしていた母の世話に行き、夜遅くに市川の自宅に帰る生活をしていました。
特に3学期、姉の病状が悪くなってからは、ほぼ毎日、その生活を続けていました。

真間小に転勤してから、私はそれまでの勤務校では経験しなかったあまりに不条理な出来事の連続に加えて、急に不調になってきた母の世話が重なり、1年目の冬には、お医者様に休職を勧められるほどまで体調を崩し、退職間際までの約2年間、東京の良い病院に通院して、休職はせず、薬を飲みながら勤務を続けました。

3年目は、そんな自分自身を支え、ガンと闘う姉を支え、何とかひとりで生活しようとする母を支え、必死に毎日を乗り越える日々でした。
それでも、毎朝7時前には出勤し、何事も無いように、吹奏楽部の子どもたちを笑顔で迎えていました。
お医者様から「くれぐれも無理をしないように」と言われていましたが、週24コマ埋め込まれていた音楽の授業をこなし、例年通り、吹奏楽コンクールやTBSこども音楽コンクール、日本管楽合奏コンテスト全国大会にも出場しました。
新型インフルエンザが大流行し、6年生の子どもたちと『今日の日をありがとう』を歌おうと練習していた最後の市内音楽会が中止になってしまったことが残念でならなかった年でもありました。
教師人生最後の卒業式には、一段と心を込めました。

校長先生以外の職場の方々や市内の音楽の先生方には、私がその年で退職することなど話しませんでした。
また、私がそんな辛く苦しい状況で生活をしていることも話しませんでした。
学校では平然を装って振る舞っていました。

30年間、常に全力投球して教師人生を歩んできた自分へのプライドをかけたラストスパートでした。


いよいよ姉の容体が悪くなってきて、「毎日の帰りに30分ずつの年休を2日で1日分ということで取らせて欲しい」と申し出た私に、当時の校長先生は、「田川先生は、お姉さまやお母様のためにそれだけ苦労をしていても、朝早くから勤務時間外の吹奏楽指導までしてくださっています。年休でなくていいから、黙ってそっと早めに出なさい...」と、特別なご配慮をくださいました。
今だから言えることですが(いや、言ってはいけないことかもしれませんが)、校長先生の温かさには感謝しかありませんでした。

職場の方々には話さなかったのですが、ごく一部の親しい音楽仲間の先生方には全てをお話しし、時々、苦しい胸の内も聞いてもらいました。
そんな先生方には、私が早期退職することも、秘密でお話ししてありました。
今にもつぶれそうな私の心を、優しく温かい言葉で支えてくださいました。

姉は、死を覚悟してから、「葬式も何もしなくていい。戒名も一切の法事も無くていい。時々私のことを思い出してくれればそれでいい」と言っており、「遺書」にもそう書き残してありました。
姉に長く連れ添ってくださった義兄も、「本人の望むように...」とおっしゃり、姉の意思どおり、内輪だけで静かに見送りました。

姉は、自分が末期ガンで余命が短いことを、親しい友人にも知らせず、その代わりに「私が死んだら送って」と、たくさんの手紙を書き残していました。
弱って、やつれていく自分を見られたくない...元気者で友達も多く、何でも仕切るのが得意だった姉は、そんな自分の姿だけを記憶に残してもらいたいと話していました。
自分が入る納骨堂(浅草東本願寺の無宗教の納骨堂)も、自分で予約し、何から何まで準備して死を迎えました。

どこまでもしっかり者の姉のすることを、私はただ見守ることしか出来ませんでした。

「あなたが退職して湖北に引っ越して来たら、『30年間お疲れ様の会』をするからね」と言ってくれていた姉でしたが、病院のベッドで「あなたとの大切な約束を守れなくてごめんね」と小さな声で言ってくれたこともありました。
「姉さん、大丈夫だよ!4月まで絶対に生きていられるから...湖北のきれいな桜を一緒に見ようね!」と励ましていた私でした。

しかし、その願いも叶いませんでした。

姉が亡くなった日、全てをお話ししていた特に親しい数名の先生方には連絡をさせていただきました。
葬式はしないことも添えて...


先日、そんな親しい先生のおひとりとお会いした時に、「2月22日はお姉さまの命日でしたね」と...
「えっ...よくそんなことまで覚えていてくださいましたね」と驚く私に、1枚の切符を見せてくださいました。

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姉が亡くなった当日、その日を忘れないようにと、塾から帰る娘さんをお迎えに駅に行った時、わざわざ切符を買ってくださったそうなのです。

平成22年2月22日。
しかも、買った時刻が22時22分です。

日付はその当日に買って...と意識してくださったそうですが、買った時刻は本当に偶然のことで、後で見て気づき、驚かれたそうです。
そこまでしてくださる先生のために、姉がそんな偶然を起こしたのかもしれません。

先生は、何か特別に記憶に残すべき大切な日には、こうして切符を買って日付を残しておくことがあるそうなのです。
その「大切な日」の1日に姉の命日を置いてくださいました。

先生も、私の姉が亡くなる少し前に、最愛のお父様を亡くされ、私はお通夜にお伺いさせていただきました。
姉の葬式はしなかったので、せめてもと、会ったこともない姉のことを思い、「大切な日の記憶」のためにこのように切符を買って祈ってくださったのだそうです。

何年も経った今、初めてそのことを教えていただきました。
その日からずっと、何年間も...先生は、この切符を持ち続けてくださっていたそうです。
そして、毎年、命日には姉の冥福をお祈りしてくださっていたそうです。

姉も天国で感謝していると思います。
そして、先生の大切な日々を見守ってくれていると思います。
心から...ありがとうございます。


「お母さんを頼むわね...。ごめんね」
亡くなる間際の姉の言葉をいつも心に置いて、私は精一杯母に寄り添って生きています。

そして、姉の分まで、元気に輝いて生きていきたいと思います。


シー
平成20年秋・ディズニーシーでの真間小吹奏楽部の演奏を聴きに来てくれた元気だった姉・母と共に。

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| | 2017-02-22(Wed)18:43 [編集]


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| | 2017-02-24(Fri)20:24 [編集]