田川伸一郎のブログ

市船soul、タイギの曲よ永遠に 告別式に響いた旋律

以前、「浅野大義さん」についての記事を書かせていただきました。

http://schoolbandsupporter.blog24.fc2.com/blog-entry-1392.html

浅野大義さんは、千葉県船橋市立船橋高等学校吹奏楽部の卒業生。
20歳という若さで、ガンのため亡くなられました。

私の大切な音楽仲間、高橋健一先生の愛する教え子です。


今日の朝日新聞デジタルより

市立船橋高校(千葉県船橋市)には、受け継がれていくメロディーがある。
応援曲「市船soul(いちふなソウル)」。吹奏楽部の躍動感あふれる旋律が、運動部員たちに力を与えてきた。

作曲したのは2014年3月に卒業した浅野大義(たいぎ)さん。目立ちたがり屋のトロンボーン吹きが卒業前、高橋健一先生(56)に願いでた。

「僕にオリジナルの曲を作らせてください」
「できが良かったら採用してやるよ」

音大に通いはじめたその年の初夏、大義さんは母校の先生を訪ね、4枚の譜面を手渡した。
机に広げた先生は「長いよ」と苦笑し、ペンで少し手をいれた。

後輩たちが奏でる「市船soul」が、試合で流れはじめた。

翌年の夏、大義さんはバーベキューに出かけた。家に帰ると、吐き気がした。せきも止まらない。
詳しい検査の後、医者から「胸にがんがあります」と告げられた。

抗がん剤投与と手術をし、昨年4月、半年ぶりに退院した。5月、また頭にがんが見つかった。治療を終えた7月、家に戻った。

そのころ、母校の野球部は千葉大会を勝ち進んでいた。準決勝、同点の六回裏1アウト満塁。「市船soul」が響き、走者一掃の三塁打が飛び出した。

夏の日差しが照りつける応援席に、ニット帽をかぶってトロンボーンを吹く大義さんがいた。「自分の曲をやってもらうのはうれしいよ」。体を気づかう仲間に照れ笑いを見せた。

決勝。六回裏、ふたたび「市船soul」。適時打で2点差を追いついた。大義さんも立って演奏をつづけた。最終回に1点取られ、甲子園は逃した。

1カ月後、けいれんして意識を失った。また、頭にがんができていた。

家族や友人に弱音は吐かなかった。12月、彼女にLINEで伝えた。

《俺の心は死んでても俺の音楽は生き続ける》

体が動かなくなり、目や耳も悪くなった。

今年1月12日、20年の生涯を終えた。

「告別式で大義のために演奏しよう」

言い出したのは、先生だった。大義さんと同じ世代で部長だった河上優奈さん(21)が連絡を回し、演奏できる元部員を集めた。

式の2日前、100人以上が母校に集まった。静まりかえった夜の校舎で、優奈さんが言った。
「最高のかたちで大義を送りだしたい」。初めて顔を見る先輩と後輩が音を合わせた。練習を終えて全員が学校を出たとき、日付は変わっていた。

告別式の日。楽器を持った喪服姿の人が葬祭場に次々とやってきた。
店に頼みこんで休みをもらった美容師。1歳の子を親に預けてきたママ。演奏者は164人になった。

祭壇には、大義さんの遺影と愛用のトロンボーン。白いひつぎを囲んで楽器を構える教え子たちに、先生がタクトを振った。

魔女の宅急便、夜明け、手紙……。昔みんなで練習した思い出の曲を奏でていった。

最後は、あの応援曲。「大義が作った曲だ。いくぞー」。先生が言った。

明るいメロディーが葬祭場に響く。トランペットを吹く女性のほおを、涙が伝う。

タイギ、タイギ、タイギ――。

選手の名前のコールも、この日だけは作曲者に送られた。

会場には母校がつくった横断幕が掲げられた。

「浅野大義君 市船soulは永遠だ」(岩崎生之助)


告別式の様子です。
http://www.asahi.com/articles/ASK3Y44VVK3YULZU008.html?iref=video_rec


部活動が育てた「愛」

部活動が育てた「真心」

部活動が育てた「生き方」

・・・大切にすべきです。


部活動無用論?
部活動はブラック?
教師を疲弊させているのは部活動?
・・・本当に?


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| | 2017-04-03(Mon)19:13 [編集]