田川伸一郎のブログ

語り継ぐ責任

平成7年1月17日の午前5時46分、淡路島北部、地下16キロの地点を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生しました。
淡路島、神戸市、西宮市、芦屋市などで震度7の非常に激しい揺れを観測し、この地震による被害は、兵庫県内を中心に死者6434人、負傷者約4万4千人にのぼり、当時では戦後最大の自然災害となりました。

「阪神・淡路大震災」です。


あの日の朝のことは、今でも強く脳裏にやきついています。

ちょうど目を覚まし、ベッドから起きようとしたちょうどその時でした。
関東でも大きな揺れが起こり、すぐにテレビをつけて、ただごとではない状況を知りました。

1日中、休み時間はテレビにくぎ付けでした。

私は、幼稚園~小学校1年生の数年間を、兵庫県芦屋市で過ごしました。
その懐かしい地が、大変なことになっていたのです。

「阪神・淡路大震災」の2カ月ほど前の11月12日、私は大柏小学校吹奏楽部の児童65名を引率して、兵庫県尼崎市のアルカイックホールでおこなわれた『第13回全日本小学校バンドフェスティバル』に出場しました。
前日の11日には、神戸市のポートタワーの近くのホテルに宿泊しました。

そのホールも、ホテル付近も、バスで通った高速道路も、皆、大変な被害を受けました。
高速道路は、一部区間が倒壊しました。

地球の長い歴史から見れば、2カ月なんて1秒よりも短い時間です。
「1秒足らずの違い」で、私と子どもたちは、震災に遭わずに済みました。
あと「1秒」違ったら...私も子どもたちも...

だから、なおのこと、被害に遭われた方々のことを思わずにいられませんでした。

そして、それまで、「何かあったら...」ということを、「何もないだろう」という前提で考えていた私は、本気で「何かあったら...」を前提に考えるようになりました。

わずか「1秒違い」で、子どもたちを守り切れた「奇跡」を胸に留めて...


あれから、19年が経ちました。

街の復興は完了したと言われていますが、生活・人生・心の復興は、まだ終わっていません。
大切な人を失った悲しみは、癒えることはないでしょう。

今の小学生・中学生は、この震災を知りません。
「阪神で大きな震災があったらしい...」というだけです。

「東日本大震災」のことを知らない世代も、これから生まれ、育っていきます。


だから、私たちは、伝えていかなければなりません。

未来へ向けて、「教訓」という大切な財産を残していくために...

多くの犠牲者の方々が、自らの「命」と引き換えに残した「教訓」を...


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今日、竹灯篭で灯された「1.17」の文字。神戸市中央区。

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| | 2014-01-18(Sat)20:10 [編集]