田川伸一郎のブログ

沖縄 『思い出写真館・その1』

いつもは地方にお伺いしても、ほとんど観光的な時間はなく、極端な場合は、昼食も車の中でコンビニのおにぎりなんてこともあるほどの私。
「仕事なんだからあたりまえ」と割り切っています。

しかし、今回は、「初めての沖縄」ということで、大変気をつかっていただき、観光の時間をセットしてくださいました。

私にメールでコンタクトを取ってくださった「元教員の会社経営者」の方が、何と旅行業者の方と共に、案内してくださったのです。
ガイドさんのように、丁寧なご説明もいただき、地元育ちである先生も、「へぇ~、そうなんだ~」と感動されていました。
まして、私などは...

もうありがたくてありがたくて...


『首里城公園』

「首里城」とは...

琉球王国(1429年に、南山・中山・北山の3国に分かれていた琉球を、尚巴志が統一してできた王国。明治政府による廃藩置県で消滅し、沖縄県となる)の中枢として約450年にわたり栄華を極めた名城。
創建は13世紀末から14世紀中頃と言われ、琉球王国成立時には、すでに国王の居城となっていた。
華やかな装飾と中国や日本、琉球の建築様式を取り入れた独特の造りが特徴。
1945年の沖縄戦を含め、過去に4回も全焼した。現在の建物は1992年に復元。
2000年に世界遺産に登録。


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最初にある「守礼門」です。
こちらの方が「元教員の会社経営者、吹奏楽ボランティア指導者」の先生です。
先生がくださったメールがご縁をつないでくださいました。


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                    園比屋武御嶽石門(そのひゃん・うたきいしもん)
                    背後にある「御嶽(うたき)」と呼ばれる聖域を
                    礼拝するために作られました。
                    琉球王国が外出する時に、安全祈願をしたそうです。
                    こちらも「世界遺産」です。


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首里城の正殿です。国王が政治や儀式をおこなった重要な建物です。

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北殿(王府の行政機関・冊封使の接待所)と南殿(行催事の開催所、薩摩藩の役人の接待所)です。

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大庫理(うふぐい)です。国王や親族、女官たちが使用した私的空間で、
儀式や祝宴もおこなわれました。


豪華絢爛な琉球王国のシンボルらしい城でした。


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沖縄でよく見かける「シーサー」です。
左側が女性、右側が男性という置き方をします。男性は口を開き、女性は口を閉じています。



『ひめゆりの塔』(ひめゆり平和祈念資料館)

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米軍の沖縄上陸作戦が始まった1945年3月23日深夜、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒222人、教師18人は、那覇市の南東5キロにある南風原の沖縄陸軍病院に配属されました。
3月26日、米軍は慶良間列島に進攻、4月1日には沖縄本島中部西海岸に上陸。
米軍の南下に従い、日本軍の死傷者が激増し、学徒たちは負傷兵の看護や水汲み、飯上げ、死体埋葬に追われ、仮眠を取る時間もなくなっていきます。
糞尿、死体の悪臭の中の作業でした。最も手をかけなければならない「重傷患者」は、「足手まといになるから」と、青酸カリを入れたミルクを飲まされ、殺害されていきました。その現実をそばで見させられた学徒たちでした。
激しい砲爆撃の続く中で6月18日、学徒たちは突然の「解散命令」を受けます。つまり、「引率放棄」を受けて「あとは、自分で何とか生き延びていきなさい」と、戦場に放り出されます。
米軍が包囲する戦場を逃げようとして、ある者は砲弾で、ある者はガス弾で、そして、米軍に殺されるくらいならと自ら手榴弾で命を失っていきました。
沖縄戦は、6月23日、日本軍司令官・牛島満の自決により終了したと考えられています。
沖縄戦では、「ひめゆり」以外にも多くの学徒隊が動員され、1998人の学徒が戦死しました。また、12万人余りにのぼる沖縄住人の犠牲をうみました。

「ひめゆり」とは、花の名前ではありません。
それぞれの学校に交友会誌があり、一高女は『おとひめ』、師範は『白百合』と名づけられていました。
両校が併設されることになり、この交友会誌もそれぞれの名前を一部を合わせて『姫百合』となりました。
戦後、ひらがなで表示されるようになりました。



この平和祈念館は、戦争を知らない世代が増えるにつけ、戦争の恐怖を伝え続けること、平和であることの大切さを訴え続けることが、亡くなった学徒と教師への鎮魂になるという考えから設立されました。

生き延びた「ひめゆり学徒」の証言ビデオ放映、悲惨な現場の様子を隠すことなく解説写真展示してあります。

思わず無言になり、涙がこぼれました。

話は何度も聞いていましたが、この地に訪れて、やはり過去の過ちへの怒りがこみ上げてきました。

しかし...ある意味、「沖縄戦」は今もまだ終わっていません...


  
『平和記念公園』

沖縄戦終結の地、糸満市摩文仁に整備された戦跡公園。
国立沖縄戦没者墓苑をはじめ、各県の慰霊塔・碑、沖縄県平和記念資料館、平和の礎(いしじ)、沖縄平和祈念堂などが集結。
戦没者を追悼すると共に平和を発信する公園として昭和47年に開園した。


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『平和の丘』のモニュメント。この前で、6月23日に「慰霊の日」の戦没者追悼式が行われます。


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『平和の火』 
「慰霊の日」の6月23日の日の出は、太陽とこの『平和の火』と『平和の丘』(奥に見えます)が、
この道の上に一直線に並ぶそうです。
そのように位置決めして作られたそうです。



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『平和の礎(いしじ)』

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               沖縄戦での戦没者の名前が刻まれています。
               今も、聞き取りが続けられ、追加されているそうです。
               合掌。



『おきなわワールド』

天然記念物の大鍾乳洞「玉泉洞」や、赤瓦古民家の町並みで様々な文化体験ができる「王国村」、ハブに触れたり生態を学んだりできる「ハブ博物公園」などからなる一大テーマパークです。
「スーパーエイサー」(創作エイサー)の実演も見られます。


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「スーパーエイサー」を観ました。演技中は撮影禁止で残念。
太鼓に合わせ、激しく舞う圧巻の演技でした。
八重山諸島に受け継がれるアンガマ(あの世からの使者であるウシュマイ・お爺とウミー・お婆が花子・ファーマーと呼ばれる子孫を連れて現世に現れ、家々を訪問。珍問答や踊りなどで祖先の霊を供養する独特の行事)、獅子舞など、沖縄の多彩な芸能も織り込まれていました。
演技後、記念撮影させていただきました。



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               ここで買った「パーランクー」(エイサー太鼓)と「三板(さんば)」(カスタの
               ような楽器)です。



沖縄県指定の名勝 金城町石畳道

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「日本の道百選」に選ばれ、沖縄戦からの被害を逃れた約500年前からの古道です。

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この石畳道の途中にある「パワースポット」300年の赤木です。
「考える力」が授かる所だそうです。ありがたや。



ゆいレール(モノレール)

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那覇空港と首里を結んでいます。
那覇市民の大切な生活の足でもあります。




今回は、中部・南部を回らせていただきました。

「次回は、北部や西海岸リゾートに!」と言っていただきましたが、そんなにしていただいては申し訳ないな...
プライベートで来ないと...

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