田川伸一郎のブログ

20年の時を越えて

こんなブログコメントを頂戴しました。

はじめまして。
私は平成9年小学5年生の時に寿北小のクラリネットパートに所属していた〇〇と申します。
何年も前の記事ですのでコメント読んで頂けているか分かりませんが偶然この記事を見つけ涙が出る思いで、どうしてもお礼をお伝えしたくコメントしました。

田川先生がいらっしゃった当時のこと、鮮明に覚えております。
ワルツのパート練習を見ていただいたことも覚えております。
当時はいつも怒られていたので私は自分はクラリネットが下手なんだとずっと思っておりました。
それでもクラリネットが、吹奏楽が大好きで大好きで、音楽をやめてしまった今でも平成8年、9年2年連続で全国大会に行けたことが奇跡のような時間であったことを思います。

私がコメントをさせて頂こうと思ったのは、坂下先生が悲痛な悩みを抱えてらっしゃる時期もあったと書かれていた部分を読んだからです。

実は今教育に携わっているのですが(音楽ではありません)、自分が正しいと思うこと、信念を貫くことがどれほど苦しく辛いことかを実感しています。
また子供に結果が出ることでしか保護者や、周りを納得させられないことは承知の上ですが、結果が出ても言われも無いことを陰で言われたりすることも多々あります。

私は当時坂下先生に教えて貰っていたことでずっと心に残っていることがあります。
それは、 【「今」という「時」を大切に】 【「今」という「時」は2度と戻らない】ということです。
当時コンクールに向けて練習する中で「今はわからないかもしれないけど、このメンバーで演奏出来ることは2度とないんだよ。大人になってこのメンバーで集まりたいと思っても叶わないんだ。だから今このメンバーで演奏できることを大事にして、一つ一つ大事に吹きなさい」と、言われていました。

大人になり今子供達に同じことを伝えております。
音楽にはもう携わっておりませんが、田川先生のこのブログを読み、当時坂下先生が伝えようとしてくれていたこと、想い、葛藤などが今になりわかることもあり、感動と感謝の思いが溢れてきました。

一緒に吹いていた先輩でプロになった方、まだ楽器を続けている友達もいますしその方達からすると私は音楽を語れるほどの知識も技術もありません。
ですが、全国大会に行ったこと、厳しい練習を乗り越えたことは私のかけがえのない宝物となっています。

久しぶりに当時の音源を聴き、また私も頑張ろうと思えました。
田川先生はたくさんの全国の素晴らしい生徒さん方にお会いしていると思うので私がコメントを差し上げるのも恥ずかしいのですが、当時のことを書いていただき、評価をして頂いたことがとても嬉しかったです。

長文でまとまらない文章でしたが、読んで頂けていましたら幸いです。
お忙しい毎日だと思いますが、ご自愛ください。
田川先生のご健康と益々のご活躍をお祈り申し上げます。



このコメントをくださったのは、鹿児島県鹿屋市立寿北小学校吹奏楽部で20年前にクラリネットを吹いていた部員の方です。

目を留めてくださったのは、下記のブログ記事でした。

ブログ記事「坂下伸一郎先生」
http://schoolbandsupporter.blog24.fc2.com/blog-entry-707.html


坂下伸一郎先生は、私が心から尊敬している先生です。
鹿児島県で小学校の先生をされています。

鹿屋市立寿北小学校、名瀬市立小宿小学校、霧島市立国分小学校、鹿児島市立吉野東小学校...転勤される先々で素晴らしいバンド指導、そして、人間教育をされて来ていらっしゃる先生です。

上述のブログ記事のとおり、平成9年度の「全日本小学校バンドフェスティバル」での寿北小学校の演奏に衝撃を受けた私は、はるか寿北小学校まで練習見学に行かせていただいたのです。
私が大柏小学校に在職中の時でした。

その時、クラリネットを吹いていたひとりが、コメントをくださった〇〇さんです。

今、教育に関わるお仕事をされ、当時の坂下先生のお気持ちが心から理解できるということ、そして、坂下先生からいただいた「大切なこと」を、今、子どもたちに伝えているということ...
とてもとてもうれしいです。

そして、たった1日、千葉から見学に伺わせていただいた私のことを覚えていてくださったこと...20年の時を越えて、こんな心のつながりが得られたことに感謝いたします。


現代の教育環境の中で、本当に正しいことを伝え続けるのは、相当なエネルギーと忍耐、時には屈辱を伴う仕事かもしれません。

でも、ご自身が信じて来られた「軸」を大切に、ぜひこれからも、勇気を持って、伝え続けてほしいと思います。

〇〇さんだけでなく、全国の先生方も...

                       どうか負けないで...

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『ザ・男子会』 in 東京

一昨日の土曜日の夜、東京都の若手ホープ(?)の男性の先生方3人からのお誘いで、『ザ・男子会』にお招きいただきました。

私は、埼玉県で2校お伺いした後でした。 
先生方はそれぞれの土曜日を過ごした後、新宿駅南口で待ち合わせてとっても美味しいイタリアンのお店へ。

3人は、東京都の小学校の音楽専科教諭としてご活躍中です。

小管研にも入っておられ、おひとりは先日の東京都小学校管楽器演奏会にも出演され、すばらしい演奏を聴かせてくださいました。

東京都の研修会でもお話しすることはあるのですが、「田川先生と、もっとゆっくり、たっぷりお話しさせていただきたいんです~」とのことで、この会となりました。

授業のこと、管楽器活動のこと、子どもたちのこと、自分自身のこと、私の教員時代のこと、これからやりたいこと、職場のこと、今の悩み、これからの生き方について...
うれしいことも、しんどいことも、話題は尽きることがありませんでした。

私を含めて4人なので、誰かが話を独占することもなく、皆が話し、皆が聞き、うなずき合い...

私の現役時代の「特別な苦労話」や「どうやって勉強していたか」ということには、特に神妙に、真剣に聞き入ってくださいました。

「女子会」をやっている先生方の話はよく耳にしますが、どちらかというと女性教諭が多い小学校で、こういうやる気に満ちた男性の音楽専科の先生方が「男子会」を開いて心をつなぎ合うのもいいもんだなぁと思いました。


現職の頃、男性職員だけの飲み会を『野郎会』と称してやっていた職場もありましたが、単なる「ドンチャン騒ぎ」でした。
だいたいは、誰か威張っている先生の「自慢話」や「不満話」を聞いている感じで、私はどちらかと言うと「聞き役」。 
「用事があって参加出来ません」なんて言うと、あとでこわいかなと思って、嫌々出席していたこともありました。

この3人の先生方はどう考えても「野郎会」ではなく、もっと上品でおだやかな「男子会」です。
いつまでも食べて、話して、聞いていたいような、とても居心地の良いひとときでした。

「この次は、〇〇先生も誘おうか!」と、もう次回の『ザ・男子会』の計画まで。


明日の火曜日は、都小管研の3月例会。 私が講師です。

「この『男子会』のこと、月曜日にブログアップしたら、ご覧になった女性の先生たちから、『ずる~い!』って言われるかもですね」と話すと、「言われてもいいですよ~! 『いいでしょ~!』って言いますから」と・・・(笑)

なごやかで仲良しの都小管研の先生方ですから全く心配ありません!(笑・笑)


3人の先生方のますますのご活躍を心から期待しています。

そして、次回の『男子会』も楽しみにしていますね!

お誘いいただき、ありがとうございました。

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心つなぐ1ページ

先日、こんなうれしいブログコメントを頂戴いたしました。

田川伸一郎先生のブログで、昭和小学校金管バンドを感動した学校にあげていただき、保護者含め金管バンド一同大変嬉しく思っております。
今年も全国大会まであと一歩のところで出場を逃し、涙していたところにこの大会へ参加させていただくことになり6年生の引退も延び、聴いてくださる方々へ感謝の気持ちをと、一生懸命演奏した結果、こうして先生から素晴らしい講評をいただき、大変幸せな思いでおります。
指揮者の徳武先生の指導のもと、一音一音の微妙な調整まで突き詰めて練習し、大切に吹き育ててきた「秋風の旅人」を、素晴らしい会場で吹く事ができ子供たちも幸せでした。
こうして名前をだしていただきありがとうございました。

昭和小学校金管バンドの保護者より



2月11日にミューザ川崎で開催された「全国小学校管楽器合奏フェスティバル・東日本大会」を聴きに行った感想を記したブログの1ページ。
私は、特に感動した学校のひとつ、長野市立昭和小学校金管バンドのことを書かせていただきました。

失礼ながら、「昭和小学校」の校名も、徳武みすず先生のお名前も存じ上げず、もちろんお付き合いもなく、初めて聴かせていただいた演奏でした。
日本中にあるすばらしいスクールバンドやご指導されているお力ある先生方について、まだまだアンテナの低い自分を反省するほど、昭和小学校金管バンドと出会えたことは、私にとって大切で素敵な出来事でした。

逆に、私の名前や存在など知るはずもない昭和小学校の保護者の方々やお子さん方が、私の小さなブログに目を留めてくださり、こんなご丁寧なコメントまでお送りくださったことに、驚き、感動し、感謝する次第です。

1ページのブログが、こうして心をつなぎ、温かい気持ちを伝え合えることをうれしく思います。

コメントをくださった昭和小学校の保護者の方、ありがとうございました。

これからも、昭和小学校金管バンドが、徳武先生はじめ先生方の御指導でますます成長していきますよう、心からお祈りいたしております。
そして、またいつか皆さんの演奏を聴ける日が来ることを願っています。

がんばれ! 長野市立昭和小学校金管バンド!

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支えていただいた心

犢橋小学校時代のファンです。

ブログ、楽しく拝見致しました。
今でも大変なご活躍をされていらっしゃるとのこと、
とても嬉しくて懐かしくて、思わずメールしてしまいました。

田川先生が犢橋小学校に赴任されていた30数年前、娘が犢橋小学校に通っておりました。
娘は合奏部には入部していなかったのですが、田川先生と合奏部の活躍は当時とても素晴らしく、演奏に感動した私は、至るところに聴きに出かけておりました。
まるで追っかけのように(笑)
今でもあの頃の演奏は、脳裏に焼き付いているように思います。

幸町の小学校に異動されて、そちらで日本一を受賞された際も、思わずお祝いに花束をお贈りしてしまいました。
それ程、田川先生と子供達が生み出す演奏に魅了されていたのだと思います。

その後のご活躍も今回、ネットやブログで知りました。
本当に素晴らしいですね。
また機会があれば、田川先生の作り出す演奏を聴きたいなと思っております。
どうぞお身体には気を付けて、素敵な音楽を届け続けて下さい。



昨日、ブログを通していただいたメールです。
お名前も書いてあり、すぐに、「あっ、あの子のお母さんだ」と思い出しました。

合奏部には入っていませんでしたが、リコーダーがとても上手な女の子でした。
何度か、「合奏部に入らない?」と声をかけましたが、彼女はやりたいことがたくさんある女の子で、見事にフラれてしまいました。
でも、音楽の授業の時には、いつも楽しそうに歌ったり演奏したりしていました。


新卒でお世話になった犢橋小学校での4年間は、私の教師人生の基盤を作ってくれた出会いばかりでした。
深くかかわった子どもたちや保護者の皆様だけでなく、このように、私が取り組んでいた活動を温かく見守り、追っかけ、ご声援くださった保護者の方々、地域の方々もたくさんいらっしゃいました。

お子さんは部員でないのに、「京成バス」にお勤めだったあるお父さんは、「合奏部が遠征する時には、特別にうんと安くバスを出しますから、先生、声かけてね!」と私に言いに来てくださり、実際にお願いすると、「えっ!そんなに安くていいんですか?」というほどの値段でバスを出していただいたこともありました。(今だから公言できます!)

楽器購入のために、私が先頭に立って廃品回収のリヤカーを曳いていた時に、「先生、新聞は子ども会に出しちゃったけど、これ気持ちだけ」と、「おひねり」をジャージのポケットに入れてくださった地域の方もいらっしゃいました。

現職だったある年の暮れに、ふと思い立って犢橋小学校を訪ねたことがありました。
校門の「千葉市立犢橋小学校」の金属表札を丁寧に磨いているおじいさんがいらっしゃいました。

「こんにちは。おじいちゃんも、犢橋小学校のご出身なんですか?」と話しかけると、「そうだよ。年末にはいつもこうやってお掃除だ。そう言えば、昔、この学校は音楽で日本一になってねぇ。若い熱心な先生がいてさ。この体育館で演奏会やってくれて、それはそれは感動したよ。母校が日本一だよ。うれしかったなぁ。」

「あの...私は、その時のその若い先生なんです。田川です」
「おぉ、そうかい。あの時はよくやってくれたなぁ。ありがとうよ。」と、私の手を握りしめておっしゃってくださいました。
たまたまのおじいさんとの出会いでしたが、当時私は、とても落ち込んでいた時期で、心にふっと灯をともしていただいような気持ちになりました。


12月に教え子たちが集まった時にも、この話を彼らには話しましたが、犢橋小学校の地域の方々は私たちが思っている以上に、私たちのことを応援してくださり、誇りにすら思っていてくださったのだと...

昨日いただいたお母様からのメールに、改めて犢橋小学校時代の私を見守ってくださっていた方々への感謝の思いがふくらみました。

今日もがんばれそうです。

・・・ありがとうございました。


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懐かし過ぎる再会

昨晩は、あまりに懐かし過ぎる再会をしました。

私が新卒の4年間を過ごさせていただいた千葉市立犢橋(こてはし)小学校。
何も無い所から立ち上げた「合奏部」で、私と共に頑張ってくれたたくさんの子どもたち。

ろくな指導力もなく、ただただ夢中になって子どもたちに向き合っていた4年間でした。

昨日は、私が犢橋小学校での最後の年に教えた4~6年生の仲間たちが集まってくれました。
今は、43~45歳になる子どもたち(?)です。
仕事や子育て...踏ん張りどころの年代です。

SNSを通じて少しずつつながりの輪が広がり、一部のメンバーは時々会っていたとのこと。

昨日の会の中心になってくれたのは、サックス担当だった女の子。
早くから私に連絡をくれて日を決め、その後もあの手この手で当時のメンバーを探して連絡をしてくれていたそうです。

当時のことは、私もはっきり覚えていることもあれば、子どもたちから言われても思い出せないこともありました。
でも、メンバーの名前だけはしっかり覚えていました。

今考えると、子どもたちには感謝とお詫びしかありません。
かなりの無茶をやっていた私に、ただただひたすらついて来てくれたのです。

思い出せたことだけでも、私が子どもたちに謝らなければならないこともあります。
私が思い出せなくても、子どもたちの心には、まだ残っている辛すぎたこと、心の傷もあったと思います。
本当に若気の至りでした。
申し訳なかったと思います。

でも、子どもたちは、その全てを含めて、「あの頃」をしっかり噛みしめてくれていました。 受け入れてくれていました。
私の指導の至らなかったことも含めてです。

「あの時があったから、私たちの今があるんです」...口ぐちにそう言ってくれました。
私の方こそ、あの時がなかったら、30年も吹奏楽指導を頑張り通せなかったと思いますし、今の私はなかったと思います。


このメンバーの年に、TBSこども音楽コンクールで、初めて「全国一位・文部大臣奨励賞」を受賞しました。
犢橋小学校にとっても、私にとっても、初めての「日本一」でした。

A.リード作曲の「吹奏楽のための第二組曲から第2、4楽章」を演奏しました。
第4楽章「パソドブレ」のトランペットソロを見事に決めてくれた部長のH君は、20歳の時に交通事故で亡くなりました。
若すぎる、悲しい死でした。
卒業後、皆が集まったのは、彼のお葬式が最初で最後でした。

昨日の会には、同じトランペットパートの仲間が、彼も一緒に写っている写真を持って来てくれました。
まだかわいかった小学生の時の半ズボン姿の彼らの写真でした。
彼もこうして皆が再会した席に写真で出席出来、天国で喜んでいると思います。


そして、幹事さんたちは、この年に転勤して来られ、合奏部のお手伝いをしてくださっていた先生をも探し出して連絡し、私に内緒で招いてくれていたのです。

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私に怒られて落ち込んでいる子どもを、陰でそっと慰めたり、私が知らないところで
子どもたちの心や態度をしっかりさせてくださっていたり...
私の無茶苦茶な指導を否定することなく、子どもたちのプラスになっていくように
サポートしてくださったすばらしい先生でした。
毎年、年賀状だけでのつながりでしたが、まさか子どもたちと共にお会い出来るとは...
本当にうれしかったです。


あの良い時代に教師になれたこと、
犢橋小学校という良い学校に新規採用になれたこと、
ダメ教師だった私のことを温かく支えてくださった先生方や保護者のみなさまがいてくださったこと、
何より、こんなすばらしい子どもたちと出会えたこと
...すべてが私の人生の誇りです。

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カセットテープにしかなっていなかった「TBSこども音楽コンクール東日本大会」のステージ演奏を、司会者のアナウンスから全てCDに焼いて全員がいただきました。

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これも、今回の取りまとめをしてくれた彼女が作ってくれたものです。
宝物がまたひとつ増えました。


それぞれの人生、まだまだ山あり谷ありだと思います。
でも、私の無茶苦茶な指導にも耐えて、「日本一」にまでなったあなた方です。
これから出会うであろう様々な試練を、「あの時」のように乗り越えていってくれたらうれしいです。


幸せの形は人それぞれ...

人の幸せをうらやむことなく、自分にとっての幸せを感じられる人生であることを祈っています。

私の教師人生の「原点」になってくれたあなた方に心から感謝し、ひとりひとりの幸せを心から祈ります。

ありがとうございました。



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