田川伸一郎のブログ

がれきに母残し4年、19歳の誓い

東日本大震災追悼式、宮城県遺族代表、菅原彩加(さやか)さん(19)=石巻市出身=のことばです。(原文のまま)

私は東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。

小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。

あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。

しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。
その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると、釘や木が刺さり、足は折れ、変わり果てた母の姿がありました。
右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。
母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。
「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。

そんな体験から今日で4年。

あっという間で、そしてとても長い4年間でした。
家族を思って泣いた日は数えきれないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。
全てが、今もまだ夢の様です。

しかし私は震災後、たくさんの「諦めない、人々の姿」を見てきました。
震災で甚大な被害を受けたのにもかかわらず、東北にはたくさんの人々の笑顔があります。
「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い復興へ向かって頑張る人たちがいます。
日本中、世界中から東北復興のために助けの手を差し伸べてくださる人たちがいます。
そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなることが出来ます。

震災で失った物はもう戻ってくることはありません。
被災した方々の心から震災の悲しみが消えることも無いと思います。
しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や気持ち次第で、いくらにでも増やしていける物だと私は思います。
前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。

最後に、東日本大震災に伴い被災地にたくさんの支援をしてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。
また、お亡くなりになったたくさんの方々にご冥福をお祈りし追悼の言葉とさせていただきます。

PageTop

3月11日

あたりまえのように朝が来る

あたりまえのように呼吸する

あたりまえのように歩き、話し、歌い、笑う

あたりまえのように・・・


そんなあたりまえのはずだった毎日が、無残に奪われたあの日

・・・

もしも、私が、あの日、そこに住む者だったら

あんなにもたくましく前を向いて歩けただろうか
悲しみや苦しみから這い上がれただろうか

テレビで被災者の方々が語る
「震災で失ったものは多いけれど、震災があったから得られたものも多いのです」
「震災で失ったたくさんのものと同じ位、これからの人生でたくさんのものを得られるように前を向いて生きていきたいと思います」

...私だったら、こんなことを話せただろうか


4年が過ぎ、私の思いは少し変わってきた

支援とか、理解とか、祈りとか
そういうことではなく

私は、自分の弱さや小ささや無力さや情けなさを、懸命に生きようとする被災者の方々から、ただただ思い知らさせる、教えられる...


いつか私の身にもやってくるであろう「その日」...
私が「被災者」になるであろうその日...

「震災」という災害ではなく、「病い」という災害かもしれない


何もできず、何もしようとせず、ただ茫然と、うずくまってうめいている自分が見える

歩き出す道を探そうともせず
歩き出す意思、いや、生きる意思さえ見失っている自分が見える

闇の中で、ひとり静かに、自ら命を絶とうとしている自分すら見える


こんな自分が、あたりまえの日々を送らせていただいている

いや、あたりまえの日々だから、何とか生き長らえている


私は弱くて、ダメな人間だ

だから、私が生きられる「あたりまえの日々」を、あたりまえ以上に生きたい

いつか来る「その日」に、じたばたせず、全てを受け入れて、静かに目を閉じられるように...


黙祷の中で、多くの失われた命の最期を思い、涙がとめどもなく溢れた

たくましく生きようとする「残された方々」の姿に、何度も涙が溢れた


支援とか、理解とか、祈りとか
そういうことではなく

私は、被災者の方々から、ただただ思い知らされている、教えられている


だから、今ある「命」に感謝し

今ある「あたりまえの日々」に感謝し

生きる

心をこめて...


                  水を運ぶ少年[1]

PageTop

20年目の祈りの日

今日1月17日は、阪神淡路大震災の起きた日です。

最高震度7。 6434人もの命が奪われ、43792人もの方が負傷されたあの震災から20年が経ちました。

この歳月は、被災地を整った街並みに変えてきましたが、家を失った被災者が住む災害復興住宅では高齢化や孤立化が進むなど、いまだに傷痕が残ったままです。
そして、悲しみや失望に襲われての自殺やストレスによる関連死は、6434人には含まれていません。

兵庫県内の「災害復興住宅」は、65歳以上の入居者の割合を示す高齢化率が、昨年11月末現在で50.2%と調査を開始した2001年以来、初めて過半数に達しました。

復興公営住宅での「孤独死」だけでも、2000年以来の総計で864人を数えます。

兵庫県や神戸市などが、都市再生機構(UR)や民間から被災者向けに借り上げた「借り上げ復興住宅」は、来年度から順次、20年の契約期限に伴う返還が始まりますが、高齢者の方々は継続居住を願い訴えています。

こうした中、震災を知らない世代が被災地でも半数に迫り、あの日の教訓を受け継ぐ仕組みづくりも課題となっています。

「風化させないこと」は、私たちひとりひとりの心が働かなければなりません。

たとえそれが年に一度であったとしても、知り、考え、伝え、そして、祈りを捧げることです。

そして、今ある「命」があたり前ではないこと、「生かされている」ことに改めて感謝することです。


今日も、阪神地区をはじめ、各地で「追悼行事」が行われます。
そんな「祈りの日」が、50年後も100年後も続き、この震災が語り継がれていくことを願います。

過去を悼み、未来を守るために...


阪神淡路大震災 復興祈願の歌『しあわせ運べるように』
https://www.youtube.com/watch?v=oIfMOPz8s98


PageTop

東北吹奏楽連盟からのお便り

昨日、東北吹奏楽連盟理事長の三塚尚可様からお便りを頂戴いたしました。

o4Mv60nfyd2cBDG1394666211_1394666532.jpg

東日本大震災の直後、3月30日に全日本吹奏楽連盟に義援金口座が開設されて以来、『響け!復興のハーモニー』のスローガンの元、個人での寄付、全国各地で各団体によるチャリティーコンサートによる募金、様々なイベントやコンクール会場での募金、そして、楽器や手入れ用品、練習用品などの寄付、楽器店によるボランティア修理、被災地への演奏訪問...東北の「吹奏楽仲間」を支える温かい活動が続きました。

全日本吹奏楽連盟の「義援金口座」に寄せられた全国からの義援金は、この2月末現在1億3781万3380円にも上ったそうです。

皆様おひとりおひとりが、コンクール会場や演奏会場などで募金箱に寄付されたお心も、この中に大切に含まれています。

このお金は、福島県・宮城県・岩手県の各吹奏楽連盟に全額分配し、各県の被害状況に合わせて大切にお使いいただいているそうです。


全日本吹奏楽連盟の「義援金口座」は、震災後3年を機に3月31日をもって閉鎖され、4月1日以後は東北吹奏楽連盟で独自の「義援金受付口座」を開設されて、今後の皆様のご支援を受け付けられるとのことです。

郵便振替
口座記号番号 02280-8-137036
加入者名   東北吹奏楽連盟

恐れ入りますが、手数料はご負担いただきますよう、お願いいたします。



東北吹奏楽連盟HPの記載はこちらから
http://www.ajba.or.jp/tohoku/gienkinkouza.pdf


まだまだ「復興」は終わっていません。
不便な環境の中、努力し続けている仲間もたくさんいます。

これからも、全国の吹奏楽仲間から「響け!復興のハーモニー」のメッセージを被災地の仲間たちに送り続けて参りましょう。



三塚尚可様、ご丁寧なお便りをありがとうございました。
東北吹奏楽連盟および各団体のますますの前進を心よりお祈りいたしております。

PageTop

3月11日

3月11日...

鎮魂と祈りに新たな気持ちを込める日


復興の格差を知り続けること

決して風化させないこと


そして...生きること


               original[1]_convert_20140311084802

PageTop